諸葛正弥の教育論
教育に関する持論や新しい教育のあり方について、教師として、または保護者として、様々な切り口でお話します。(元タイトル:子どもの才能を伸ばす教育を)
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告知(2014年9月16日版)
◆2004年冬に開講して以来、おかげさまで10年目になりました。
 T's skill教師塾が開講します。
◆ロボットの組み立てを通じて集中力、問題解決力、立体構成力などを養っていきます。
 小学生対象のロボット教室をやっています。
 (ひらがなが読めれば年中さんもOK)※同時に算数パズル教室もやってます。
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◆ブログの注意事項
 基本的に、私が実際に活動していることを中心に記事を書いています。
 しかし、事例を赤裸々に具体的に語ってしまうと、関係者に影響を及ぼす
 可能性があるため、特定されそうな具体的な内容は立場上、記載できません。ご容赦下さい。
 もっと年数が経って、利害関係も無くなりそうになったらお話できるかと思います・・・
 具体的な事例を、という方は物足りないかも知れません。申し訳ございません。

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テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

サレジオ学院へ訪問
自分が通っていた頃、ちょうど学校改革の真っ只中であったため、
その当時の話を伺いたく、恩師に無理を言って時間を頂きました。

率直に、偏差値も随分と上がり、上位校の仲間入りをした学校なので、
改革とは無縁と思ってら、まったくそうではなく、新たに改革に着手していこうという強いものを感じました。

ただ、基本的なことは昔と変わらず、一貫した教育が行われているということがそもそもの強みなのでしょう。

例えば、
「大学受験をゴールにせず、その先の生き方を考えた指導をする。」

これは自分が通っていた当時もそうで、一度として難関大学に行かなければならない、という指導はなく、「君は将来、どうなりたいのか」ということを常に問われ、当時の担任にも自分自身の意志を随分と尊重してもらえたな、と思います。

そういった教育は今でも変わらないよ、と仰られていたことがとても印象的で、サレジオ学院の魅力の一つなのでしょう。

一方で、生温いという意見もあるかも知れませんが、自分の人生がかかっている、ということから逆算をして考えさせられていると、必然的にシビアにならざるを得ない訳で、いかに何となく生きるのではなく、将来を考えさせた上での今を過ごさせるのか、という意識が全体に根付いていたからこそ、効果を発揮したのだろうと感じます。


また、専任比率が非常に高いということも強みで、意思統一の面や指導上の徹底においても有利になりますし、何より6年間、責任を持って面倒を見るという体制が作りやすい。
複数の先生方と話しても、教育観の根本については同じように仰る・・・そういう土台がきちんと作られている印象でした。

こうした体制を作るには並々ならぬ苦労もあったとは思いますが、大いに勉強になりました。

教師に必要なこと
新年明けましておめでとうございます。

早速ですが、年末年始、体調を崩してしまい、
各方面にご迷惑をかけてしまいました・・・
申し訳ございません。

学校に関わるようになって約10年、
色々と紆余曲折がありましたが、多くの方の支えがあって
何とかここまでこれました。
さらに勉強をしつつ、精進を続けます。


さて、
タイトルですが、教師に必要なことって何なのか、
という問いの中で、技術的なこと、知識的なことを挙げる方が多く、
敢えて取り上げたいな、と思いました。

教師に必要なこと、
やはり、人が人に知恵や文化を継承していくことが教育、
と考えていますので、技術的なこと、知識的なことよりも
まず第一に、人間として何を伝えられるのか、ということが
原点にあるのが本来の姿であり、そこを疎かにしてしまうと、
生身の人間をわざわざ教室に集めて授業をすることの価値も
薄れてしまうような気がします。

ですから、
教師として必要なことは、
人間らしく過ごすこと、が一番なのかな、
と思っています。

それは、
人との関わりに心を通わせ、様々なことに視野を広げて
感動したり、泣いたり、怒ったり、をしながら、
自然や目の前の出来事に対して心を動かせるように、
生活にゆとりを持って過ごすこと。

これに尽きるのではないでしょうか

こうした人間としての経験が乏しくて、
人間教育が果たしてできるだろうか、と
常々、思うのです。

心に余裕がないのに、
子ども達の成長を見守る余裕が生まれるだろうか。
自分自身が心を動かされる経験に乏しいのに、
子どもの心を動かしたり、理解したりすることなどできるのだろうか。

純粋に、そういう基本的な原点を大切にすべきなのだろう、と思います。

しかし、
現実的には教員の日常が余りに忙し過ぎる。
とてもじゃないが、そんな余裕など生まれない、
という方が大半を占めるのではないでしょうか。

私は現在、私学に関わっていますが、
家族で旅行などとてもじゃないができない、
という方がとても多い。

果たしてそれで、いい教育ができるのか、という現実を目の前にして
改めて考えさせられています。

先生が人間らしくいられずに、人間教育をしよう、という矛盾を
いつか、この手で解消したい。
そのために、まずは私学でそれを実現し、公教育にも変化が生まれる影響を
与えることができれば良いな、というのが私の個人的で小さな目標です。

今年の抱負というより、
長い年月がかかりそうな目標ですが、
自分の理想はそこにある、という原点を忘れずに
今年一年、良い種まきができるように頑張ります。


過ぎたるは猶及ばざるが如し
生徒への面倒見が良いからと言って、
何でも教え過ぎる先生では、生徒が依存し成長しない。

教室の居心地が良過ぎても、
馴れ合いの空間になりやすく、
授業とのケジメがつき難い。

他に、
住まいにおいても
子ども部屋の居心地が良すぎると
個室へ籠り、共有の空間に出てこない。

なども考えられます。
要は、あまりに都合の良過ぎる環境を与えてしまうと、
かえって悪影響を及ぼす可能性が高まる、ということなのかも知れません。

だから、少し居心地を悪くする仕掛けが
あえて必要になってくる、と思っています。
別の言い方をするなら、
一定の緊張感を保つ、とでも言いましょうか。


しかし、
それはそれで、
生活全般がそれに支配されてしまうと、
成長と引き換えに
いつかは神経が擦り減っていくでしょう。

常にバランスを考えることが大切で、
まさに、
過ぎたるは猶及ばざるが如し
ということを頭に入れて環境を整えないといけないのでしょう。

どんなに良いことでも、やり過ぎるのなら、
やり足りないのと同様に良いこととは言えない。

まさにそうならない要にバランスを考えて指導が必要ですね。
教室の価値を高める
私も例外ではなかったのですが、
教室では、生徒が授業の準備をして先生を待たせる
というのが良い、と思ってきました。

そして研修などでも、
授業開始のベルが鳴る前に机上の準備をし、着席して、
教師が来るのを待たせるように話してきました。


しかし、
現実には
なかなか生徒は教室に入らず、教師が注意しても
整然と着席して教師を待つ、という状況にはなり難いものです。

そこにはいくつかの理由があると思います。

■生徒側の授業を受けることに対する優先順位(価値・期待度)の低さ
■授業の準備をして待つことへの理解の低さ
■教師との信頼関係の欠如
■明確なルールの欠如
など・・・

いずれも、後から注意すれば解決できる、
というものではなく、その状況に至る前の段階での話で
その瞬間までにどのような関係を築き、どのような意識の共有を
行なってきたのか、という話に帰結します。

だから、当然、
その場で叱って対応すれば改善する、
などというのは、一過性の対処でしかなく、
継続的な効果など期待できません。

そして何より、
「ならぬものはならぬ」「いいから言うことをきけ」
というのは理不尽だ、不適切だ、という価値観が強くなった現在、

生徒の側に、その行動を起こすことに対して
意義、価値を見出せなければ、どれだけ注意しても
「うるせえな」
という反発を生むだけかも知れません。


そうなると、
授業の前に準備をして待つことの価値、
をお互いに共有できなけば上手く機能しない、
ということになるでしょう。

礼儀やマナーに対しても
合理的でない、権威主義は良くない、
という風潮も強く、教師が偉いなんてオコガマシイと
言われる現在では、教師に礼を尽くす、という話も通じない
というのが現実でしょう。


それを解決するには、
教師と生徒の間に信頼関係を築くしかない、
その信頼を築くためには、やはり授業そのものが
生徒にとって価値があるもの、とならなければならない
という当然の話に突き当たります。

結局、形だけの関係を形成しようとしてもダメで
授業をしっかり行なって、生徒の信頼を勝ち得るからこそ、
教室管理においても生徒との関係がきちんと作れる。

ということです。

指示の出し方、教室への入り方、など
様々、パフォーマンスもありますが、
それらはすべて、生徒からの信頼を得るために
授業をしっかり行なっているからこそ、効果を発揮するもので、
どれだけ指示が的確でも、授業で信頼を損なう先生には
生徒もついてこないものなのです。


さて、そんな当たり前の話を長々と書きましたが、
授業の前の雰囲気づくりにおいて、別の発想もある、
ということで追記をしておきます。

教室は授業を行なう空間で、遊ぶ場でも、雑談の場でもない、
という意識を共有する方法の1つとして、
これまでの考え方と真逆のことをしてみるのも良いかと思います。

教室に生徒を待たせて、そこに教師が入る、
という構図を、生徒の縄張りに先生が侵入するという
イメージでとらえるなら、教師が生徒に求めてもらえなければならない、
という意識も高まるのは当然です。

逆に、休み時間になったら、
全員教室から速やかに退出させ、教室に教師が先に入って
授業のセットアップを行なった後、準備ができたら生徒を迎え入れる。

というようにしたらどうでしょう。
(そのためには廊下にロッカーが必要ですが・・・)


そこは教師が授業のために準備をした空間で、
教師が授業を行なうテリトリーに生徒を迎え入れる、
という構図が出来上がります。

そこは授業のための空間で、
遊ぶ場でも、雑談の場でもない、
という共通の認識も作ることができるのではないでしょうか。
権威的に生徒を管理するというより、
教室は何のための空間なのか、という共通の認識の下で
ケジメをつける、という形になるので、
個人的には、よりスマートな気がします。



何のために教室を使うのか、
という共通の認識を持ち、
教室の価値を高めることによって、
生徒の学習への意識を高めさせる。

イギリスの学校の手法ですが、
これも有効な一手でしょう。


私は日本式の礼を行なうことは嫌いではありません。
お互いに礼を尽くす、という姿は自分への戒めにもなりますし、
気持ちの切り替えにもなります。
ですから、それ自体を否定する訳ではありませんが、
引き出しは多く持って損はありません。

そして、現在の日本では
実行には周囲の理解も必要だとは思いますので
ご参考まで・・・


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