諸葛正弥の教育論
教育に関する持論や新しい教育のあり方について、教師として、または保護者として、様々な切り口でお話します。(元タイトル:子どもの才能を伸ばす教育を)
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サレジオ学院へ訪問
自分が通っていた頃、ちょうど学校改革の真っ只中であったため、
その当時の話を伺いたく、恩師に無理を言って時間を頂きました。

率直に、偏差値も随分と上がり、上位校の仲間入りをした学校なので、
改革とは無縁と思ってら、まったくそうではなく、新たに改革に着手していこうという強いものを感じました。

ただ、基本的なことは昔と変わらず、一貫した教育が行われているということがそもそもの強みなのでしょう。

例えば、
「大学受験をゴールにせず、その先の生き方を考えた指導をする。」

これは自分が通っていた当時もそうで、一度として難関大学に行かなければならない、という指導はなく、「君は将来、どうなりたいのか」ということを常に問われ、当時の担任にも自分自身の意志を随分と尊重してもらえたな、と思います。

そういった教育は今でも変わらないよ、と仰られていたことがとても印象的で、サレジオ学院の魅力の一つなのでしょう。

一方で、生温いという意見もあるかも知れませんが、自分の人生がかかっている、ということから逆算をして考えさせられていると、必然的にシビアにならざるを得ない訳で、いかに何となく生きるのではなく、将来を考えさせた上での今を過ごさせるのか、という意識が全体に根付いていたからこそ、効果を発揮したのだろうと感じます。


また、専任比率が非常に高いということも強みで、意思統一の面や指導上の徹底においても有利になりますし、何より6年間、責任を持って面倒を見るという体制が作りやすい。
複数の先生方と話しても、教育観の根本については同じように仰る・・・そういう土台がきちんと作られている印象でした。

こうした体制を作るには並々ならぬ苦労もあったとは思いますが、大いに勉強になりました。

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教師に必要なこと
新年明けましておめでとうございます。

早速ですが、年末年始、体調を崩してしまい、
各方面にご迷惑をかけてしまいました・・・
申し訳ございません。

学校に関わるようになって約10年、
色々と紆余曲折がありましたが、多くの方の支えがあって
何とかここまでこれました。
さらに勉強をしつつ、精進を続けます。


さて、
タイトルですが、教師に必要なことって何なのか、
という問いの中で、技術的なこと、知識的なことを挙げる方が多く、
敢えて取り上げたいな、と思いました。

教師に必要なこと、
やはり、人が人に知恵や文化を継承していくことが教育、
と考えていますので、技術的なこと、知識的なことよりも
まず第一に、人間として何を伝えられるのか、ということが
原点にあるのが本来の姿であり、そこを疎かにしてしまうと、
生身の人間をわざわざ教室に集めて授業をすることの価値も
薄れてしまうような気がします。

ですから、
教師として必要なことは、
人間らしく過ごすこと、が一番なのかな、
と思っています。

それは、
人との関わりに心を通わせ、様々なことに視野を広げて
感動したり、泣いたり、怒ったり、をしながら、
自然や目の前の出来事に対して心を動かせるように、
生活にゆとりを持って過ごすこと。

これに尽きるのではないでしょうか

こうした人間としての経験が乏しくて、
人間教育が果たしてできるだろうか、と
常々、思うのです。

心に余裕がないのに、
子ども達の成長を見守る余裕が生まれるだろうか。
自分自身が心を動かされる経験に乏しいのに、
子どもの心を動かしたり、理解したりすることなどできるのだろうか。

純粋に、そういう基本的な原点を大切にすべきなのだろう、と思います。

しかし、
現実的には教員の日常が余りに忙し過ぎる。
とてもじゃないが、そんな余裕など生まれない、
という方が大半を占めるのではないでしょうか。

私は現在、私学に関わっていますが、
家族で旅行などとてもじゃないができない、
という方がとても多い。

果たしてそれで、いい教育ができるのか、という現実を目の前にして
改めて考えさせられています。

先生が人間らしくいられずに、人間教育をしよう、という矛盾を
いつか、この手で解消したい。
そのために、まずは私学でそれを実現し、公教育にも変化が生まれる影響を
与えることができれば良いな、というのが私の個人的で小さな目標です。

今年の抱負というより、
長い年月がかかりそうな目標ですが、
自分の理想はそこにある、という原点を忘れずに
今年一年、良い種まきができるように頑張ります。


森の中の森の家(イチ・デザイン・ラボ)-落合秀一氏
昨日、友人が設計した住宅のオープンハウスにお邪魔しました。
奥様のために、接着剤などの有害なものを使わないことに挑戦し、
自然素材を用いたデザインの住宅、というコンセプトでした。

ochiai-house-1-B.jpg

「森の中の森の家」というタイトルをつけられたこの住宅は、
山中湖畔から森の中に入っていった先にあり、
スギと漆喰が印象に残る
まさにタイトル通りの佇まいでした。

建築家である彼自身が施主であり、設計を行なうので、
実験的な要素も多いため、住み始めた後も経過を聞いてみたい
要素が詰まっています。

さて、
元建築家としての話ではなく、
教育という視点で少し紹介してみようと思います。
[READ MORE...(続きはこちらから)]
先日の電車にて
そういえば
先日、終電に近い時間の電車に飛び乗り、
ドアの近くで立って乗っていたところ、
ドアの脇の座席に座っているサラリーマンに向かって、
その正面に立っている中年のおじさんが突然、

「ハゲ!おい、ハゲ!」

と罵り始めました。

そして
「見事にハゲてるなー、俺もハゲてるけどよ」

とつぶやき、
続けて再び

「ハゲ!」と罵る・・・

下らないやり取りに巻き込まれたくないな、と正直思っていましたが、
言われているサラリーマンの方が何も言わず、
ただジっと相手を睨み付けていました。
その様子に目を離せなくなってつい、見てしまっていました。

すると、
「おい、怒っているのか?度量の狭いヤツだな」
「笑って済ませられないのかよ?」

と更なる挑発・・・


うーん、それは何か違うぞ?
少なくとも挑発している側が言うことじゃない。

そもそも怒らせるようなことを言っておいて、
怒ったら度量が狭い?そんなバカな(笑)


そもそも、挑発しておいて、
その相手の反応を見て「嫌なやつ」「おかしい」「気に食わない」「度量が狭い」
などと非難をする方がどうかしている。


それこそ、
関わっちゃいかんヤツだ・・・


まあ、ネット上にもそういう類の方は少なくないですが、
まともには関わりたくないですね。


ちなみに、
その後、私は下車してしまって
事の顛末を見届けることができなかったのがちょっと惜しかった気がします・・・

あ、いや、関わりたくなかったのですけど、ね・・・
さすがに気になっていたので。

社会が持つ教育力
社会と言っても、「社会科」ではありません。

いわゆる「世間」といいますか、
私達が暮らす社会のことを指します。

ちょっとこの部分が気になったので
記事を書こうと思います。


今も昔も、子どもはナマイキで、
悪ガキと呼ばれる子どもは常にいたと思います。

ですから、
態度が悪い、大人に対する言葉遣いがなっていない、
なんて子どもがいるのは別に気になりません。

が、問題はここから。


そうした子ども達に
姿勢や挨拶、言葉遣い、態度などを注意すると、
注意をした方が悪い、といわんばかりの態度が返ってくるように
なっているな、と感じます。

消しゴムを落とした子どもが、
「先生、消しゴム落としたから拾っといて」
と言う。

「ちょっと待って、それは人に何かをお願いする態度ではないでしょ?」
と諭すと

「は?何言ってんのケチ」
「大人のくせに消しゴムも拾えないの?」

とまで付け加える小学3年生・・・
おいおい、さすがにこれはないだろう、と思い、

「自分で落とした物くらい自分で拾いなさい。」
「そして、誰かに何かを頼むときは言葉の遣い方に気をつけなさい。」

と言ったら
「こんなところもう来るか!」

だそうで・・・


いやいや、昔は悪ガキはいても、
社会が、すなわち周囲の大人が、叱ってくれるという機能が働いていた
(それで直るかは別ですが・・・)はずですが、
現代では、大人が「悪いことは悪い」と叱ることすらなくなって、
みんな子どもを王様のように扱うようになってしまったのかな・・・
と思うくらいに、免疫の無い子どもが増えた気がしてなりません。

周囲の大人が「悪いことは悪い」と叱ってくれるだけで
少なくとも「悪いと自覚した上で悪さをしている」という土台ができます。
だから、叱られると「やべえ、逃げろ」になるのでしょうし、
とりあえず「ごめんなさい」と言っておこうくらいにはなるのでしょう。
(だから直るかどうかの問題ではなく、「悪いことは悪い」と自覚させる機能なのだ、と思います。)

けれど、そういう経験のない子たちは、
果たして「悪いと自覚した上でやっているのか」

とてもそうは思えないことも多いのです。
「当然の権利だ」くらいの態度がどうしても目についてしまう・・・

そして叱られても
悪かったという反応すらない。
悪いことは悪い、と自覚していない子に叱っても意味はないのかも知れない、
と思ってしまうほどに・・・


私の周囲だけのことなら、別にいい?のですが。

けれど、
残念ながら、高校などでも
授業中に立ち歩く生徒を注意した先生に対し、
「うるせー!」と逆ギレしている生徒を見かけたり、
居眠りしている生徒を起こしたら
あからさまに不機嫌な応対をしてみたり・・・

どっちが悪いのか、すら自覚していないのではないか、
と思わんばかりの生徒を見ると
「悪いことは悪い」と教えられた経験そのものが
希薄な子どもが多いのではないかな、と感じずにはいられません。


学校の先生も、
町の人も腫れ物を触るように
子ども達と関わってはいないかな、と・・・

様々な要因があるのでしょうが、
何だか確実に社会の教育力は失われている気がしてなりません。



厳しいことは言わず、
仲良くしていればそれでいい、
「悪いことは悪い」ときちんと教えることなく、
子どもを王様に仕立て上げてしまって、
社会が教育力を失った先の未来は果たしてどうなるのか・・・

自分自身も子ども達との関わり方を見つめ直す必要があるな、
と思うと同時に、社会の教育力を取り戻すにはどうしたら良いのか、
悩み始めた次第です・・・

考えすぎ、なのかも知れませんが・・・


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