諸葛正弥の教育論
教育に関する持論や新しい教育のあり方について、教師として、または保護者として、様々な切り口でお話します。(元タイトル:子どもの才能を伸ばす教育を)
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教育者としてのスタンス
生徒を叱る、ということは必要です。

そして、悪いことは悪い、と伝えることもまた、重要です。

しかし、
その大前提として、

教師は「生徒が悪い」と責任転嫁をしてはならない、
という土台が重要だと思っています。

宿題をやってこない、
成績が上がらない、
やる気を起こさない、

これらもすべて、「生徒が悪い」のではなく、

宿題をやらせられない自分が悪い。
成績が上がるように、勉強をできるように仕向けられない自分が悪い。
やる気を引き出せない自分が悪い。

まず最初に考えるべきは、
原因が自分にある、と考えて取り組むこと。

これが大前提だと思っています。

これは
以前に勤めていた学習塾で学んだ考えですが、
確かにその通りで、「生徒のせい」にした途端に、
自分の責任はすべて放棄された気になり、
その時点でその先生の成長は止まる。

本気で向き合うということは、
相手を責めることではなく、
その生徒を動かすために、「自分が全力を尽くすこと」である。

その意識を持っていなければ、
一部の、自分で勉強のできる、意欲のある子、しか
面倒を見る事ができないのです。

伸び悩んでいる子、
学ぶ面白さに出会えていない子、
そうした生徒を救うことはできない。


そんな先生に、果たして教育者としての価値があるのか。

そう思うと、
私は、いつも壁にぶつかって、どうして良いか分からなくなっても良いから、
自分が足りない、自分に何ができるか、を考え続ける先生でいたい、と思います。


「生徒のせい」にして
生徒をただ叱り続ける者と、

「自分のせい」と考え、向き合った結果、
生徒を叱る者と、

どちらが教育者として相応しい姿か。

私は後者だと思います。
ただ、その考えは先生を精神的に追い詰めるもの、
とも言えます。だから、強要はしたくありませんが・・・


未熟だから教える者が必要なのであり、
生徒が至らないのは当たり前の事。

だから、「生徒が悪い」と片付けるのは教育から逃げているのと同じ。
そう思うのです。


教育者としてのスタンスとして、
私が大切にしたいことの一つです。


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教育改革について
教育の改革は非常に難しい。

目新しいことをすれば良いのではない。



そして、
そこには何のために、
という芯がなければ、どんな方法論も無意味です。

だから、
手法論の前に教育観を定めておかなければ
当然、空中分解をするのです。



さらに難しいのは
教育は新しく刷新したから良いのではない、
ということです。

これまでの流れがあって、
良くも悪くも、そうした流れの上に乗っている生身の生徒を
どう導くのか、が課題なのですから、
現状を踏まえた上での「改革」というより「修正」という方が
本当は正しいのかも知れません。



また、
教育を停滞させる要因の1つに
変わろうとしない文化、積み上げのできない環境、があります。

個人単位では力のある先生が実践を積み上げていても
文化としての積み上げは乏しい。

現在、新教育と言われているような手法も、
50年以上前から言われていることが殆どで、
実は真新しいことは非常に少ないものです。


まさに
積み上げがなく、
いかに堂々巡りを繰り返しているのか、
ということです。

そして、
変わることを恐れ、
教育の中身・誇りを守るという言葉を盾にして、
本当に必要なことにまで
目を背けてしまって、
何もアクションを起こさない大人がいることも事実です。


もちろん
教育を改革するのが単に良いのではなく、
常に現状を鑑みて、
子ども達の実情と、時の変化を照らし合わせ、
何が必要で、何を修正していくべきなのか、
何を取り入れていくのが良いのか、
ということには常にアンテナを張り巡らせて、
守るプライドと変える勇気の両方をバランスよく持つことが大切です。


そうでなければ
経験だけが先走り、
気がついて振り返ると、
現実の生徒を見失ってしまうことでしょう。




ただ
地に足がついた教育をするには
改革よりも何よりも、
教育観を定めるための方策が必要なんですよね・・・

それも定まっていない、
イメージでしかそれを持っていないと
教育を守る、と言っても
変わるべきこと、と、変えてはいけないこと
守るべきこと、と、新しくするべきこと
子どものためになること、と、子どものためにならないこと
を判断する軸が定まらないで、
何でも反対するしかないのです。


だから
本当に教育に変化をもたらそうと思うのなら、
長いスパンで、人材の教育から始めなければ
結局、「変わることのできない」人々の抵抗によって
どんなことも成果を挙げるまでには至らないことでしょう。



要は教育には短期間で結果の出る魔法の薬などない
ということです。

仮に何かで短期間の成果が出たならば
私はその副作用の方が気になりますから・・・

[READ MORE...(続きはこちらから)]
人間観を育てる
世の中を見渡したとき、
「これが絶対に正しい」
「これが絶対に間違っている」
という判断はまずありません。


そこには必ず、
「こうあるべき」
「こうありたい」
という哲学的な主観が入り込みます。


そして
その主観というものは
人間観に基づくもので、
それを我々は「道徳」「モラル」「思想」などと呼んでいます。



人間は物事を判断する際、
何を基準に善し悪しを判断するのか、
と言えば、まさにこの部分が判断の軸になっているのではないでしょうか。

叱るのも、ほめるのも、
受け入れるのも、拒絶するのも、
恐らくは、個々人が持つ価値観という主観、人間観によって
判断をしているはずです。


しかしながら、
私達は、そうした人間観の軸を定めるために
考えたり、学んだりする機会はあったでしょうか。

残念ながら戦後の教育において、
それは排除されていきました。
諸刃の剣だからです。


ただ、それは
そういう機会が足らないことを自覚した私達が
生涯学習という視点に立って、
大人としてどう生きたいのか、を話し合ったり、
議論し合ったりして人間観の軸を定めていこうとすること自体を
禁止されている訳ではないのです。

そして
人間観の軸が定まっていないと
当然、判断の基準が揺らぎますから
善し悪しの判断も場当たり的で、直観的な判断になり、
時にブレる、ということが起こるのです。

ブレるという曖昧さがあるのが人間なのかも知れませんが、
ブレ続けていては、それによって教育される子どもにとってみれば、
何を軸に善し悪しの判断をしていいか、学ぶことができず、
結局、何が良くて、何が悪いのか、を自分で判断する力が
育たないという結果になってしまうのです。


子どもの前に立つ大人すべてが
人間観の軸について、今一度、考える機会を作ることが
必要な気がします。

それは全員が同じ必要はなく、
「私はこうありたい」
という軸をそれぞれが確立しようとすることが大切だということです。



見失っている教育
多くの授業を見たり、
保護者の方からの意見を伺っていると
見失っているものがあるのではないかな、
と感じることがあります。

それは、
子ども自身に試行錯誤させ、時間を与える
ということ。


どうしても、
できない姿を見ると、
答えを教えたくなって、
こうやるんだ、と説明してあげてしまう。

それで、
解決方法を覚えれば
同じ様なパターンの事柄になら対処できるかも知れませんが、
残念ながら、自分で問題解決ができるようになっているのではないのです。


パターンというレールの敷き方が上手くなり、
その上を歩くのが上手くなるけれど、
そもそも、どこにレールを敷けばいいのか、
どのようにレールを敷くのか、
という計画が立てられるようにならないので、
別のパターンが登場したとき、
やはりまた、教えてもらうまで何もできないのです。


私は学習には2つの側面があると思っています。
1つは制限時間内で答えを出す、という時間にコミットする学習。
制限時間を設定するのは、
効率良く、適正に集中することのできる時間で学習する
という点で非常に大きなメリットがあります。
さらに言えば、
将来、社会に出たとき、
必ず期限という制限時間がついてまわります。
そのとき、時間までに成果をあげるという計画性があるかどうか、
というのは大きな武器になるのです。

2つ目は時間制限を設けず、自力で壁を乗り越える学習。
自分自身で試行錯誤を繰り返し、
その結果、解決した事象はまず忘れません。
そして、結論に至るまでに多くの失敗を繰り返していますから、
他の事柄に対しても、どうしたら失敗し、
どうすれば上手くいくのか、という判断力が高まっていきます。
要は自分で体験した経験という武器を手に入れることで、
決断力を養い、問題解決をする上での行動力が育つのです。

また、
試行錯誤をする中で、
因果関係や筋道を嫌でも考えますから、
論理的な思考を身に付けるのにも役立ちます。


ただ、
このように試行錯誤をさせる教育をするには
時間が必要なのです。

待つことが出来るかどうか、が鍵です。

上手に見守ることができるかどうか・・・

それができない方が非常に多い。


そして結局、
子どもは自分で考えず、
自分で筋道を立てるのではなく、
パターンで「当たり」か「ハズレ」かというだけの
短絡的な行動で問題解決を図ろうとするのです。


違えば、教えてくれない大人が悪い。
あっていれば、純粋に「あたった!」と喜ぶ。


それで将来、生きる力が身に付くでしょうか・・・
恐らく無理でしょう。



子どもが試行錯誤をして
できなくて、騒いでいる。
それは
できるのが当たり前、という価値観を作ってしまった大人の責任です。

そして、
子どもができないのにイライラして、
教えてあげて、
その瞬間を解決してあげるのも、
それは誰の為か。

それは大人がスッキリしたいだけ。
と思って欲しいのです。


子どもは解決できて良かった、と思うのでしょうけれど、
子どもが自覚していないところで失っている力があるのです。


優しさと甘さは異なります。


時に、教えてあげた方が良いこともありますが、
自分で考える習慣のない子ども達が、
どんな習慣を身に付けてしまっているのか。

その現実に直面すればするほど、
自分で考える、という教育を見失っているような気がします。




自分で調べたり、
自分で探したり、
間違っても良いから試したり・・・

そんなことを繰り返して
何かをできるようになる。

自分で考え、経験して通過するから、
身になっていく。



当たり前のことのようですが、
時間に追われている現代で、
どうも失われていってしまっているのではないでしょうか・・・

ゆとり教育とは
本当は、そういうゆとりが必要だった
と思うのは私だけではないはずです。


追記
短い時間で早く処理をさせるトレーニングも
処理能力向上のために必要なことではありますが、
テストで点を取らせるためだとするなら、
半年もあれば鍛えられます。
初めからそうした環境下で固めてしまうと、
短い時間で反射的に分かること以外の考える事を
放棄する傾向が見られるようになるので、
低学年の内に優先すべきは「時間を与えること」だと思います。

ただし、
注意をしなければならないことは
集中しているなら継続させる
だらだらしているなら中断させる
ということは見守る側が見極めてあげる必要がありますが・・・
思考と言語
思考をするには言語がいる。


だから、
まずは日本語、語彙がしっかりしていないと
思考ができない。


しかしながら、
最近は、ロジックといいますか、
論理的思考や言葉にとらわれ過ぎて、
それ以前の、もっと大切なことを見失っている人を大勢見かけます。


論は達者なのかも知れないけれど、
残念ながら、心が見えていない。


筋が通っていて、
論理的であっても、
それが生き方として正しいとは限らない。
ましてや、
私達が生きている人生の中で出会うことのほとんどが、
○か×で判断のできるものではなく、
「どうしたいのか」
「どうありたいのか」という
目に見えない、判断基準でジャッジメントされていることが多いものです。


それは、決して論理的な思考で
説明のできない部分を含んでいるということを
忘れてはいけないのです。


だから私たちは、何かを論ずるとき、

自分が論理的で正しいことを言っているつもりでも、
その姿は本当に、人として、「そうありたい姿なのか」
「相手の心を見失ってはいないか」
よく、照らし合わせて考えてみる必要があるかも知れませんね。


それができず、
論理的であることに偏って、
議論の為の議論にはまってしまっている姿を見ると、
どうにも、折角の能力が台無しになっているのだな、と感じてしまいます。

頭は良いかも知れないけれど、
残念ながら、賢くない。

そんなところでしょうか。


思考をするには言語がいる。

けれど、それだけでは足りなくて、
人の感情を汲み取り、多様な価値観を受容しようという土台がなければ
折角の思考を活かすことができないのです。




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