諸葛正弥の教育論
教育に関する持論や新しい教育のあり方について、教師として、または保護者として、様々な切り口でお話します。(元タイトル:子どもの才能を伸ばす教育を)
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生徒を見ない先生
意外と、授業のときに生徒を見ない先生が多いものです。

一人で話し、一人で黒板に書き、一人で進行する。

生徒がそこに居ても居なくても、
同じように成立するのではないか、と思うような授業をする方は意外と多いのです。


当然、よほどの話術がなければ
生徒は内職、睡眠、私語、立ち歩きなどが始まっていきます。


けれど、直せない。
荒れていく教室を見て、余計に怖くなり、
さらに関わらないように自分の殻に閉じこもる悪循環を繰り返し、
生徒不在の授業が続く・・・


そういえば私も過去にそんな時期があったな、と振り返りました。

授業を終えてふと、
そういえば全然、生徒を見ていなかったな・・・と自覚したことも。


どこで乗り越えたのか。

それは生徒の成績を上げられず、受験に失敗し、悔し涙を流す生徒の姿を見てから
何かが変わったのかな、と思います。

「何としてもできるようにしてやりたい」

そのためには、生徒と向き合い、
何が出来て、何が出来ないのか、を知らなければ
決して生徒のニーズも分からないし、成績は上げられない。

本気で関わらないと、生徒も本気にならない。

そう思ったからでした。


要は、義務や指導によって、生徒を見て授業をしなさい、
と言われても、当の本人は恐らく、
「そんなことは百も承知」で自覚もあるはずで、
でも、それを本気で改善しないとならない、という目的意識が
それを乗り越えるほどには強くなっていない、ということなのかも知れません。


生徒の人生がかかっている。
少なくとも短いながら大切な1ページに影響を与える存在なのである。
という自覚があれば、そんな無責任な授業はできない、とも言えますが・・・


研修をする立場としては
常に、その部分の大切さは暑苦しいほどに伝えつつ、
先生自身が、どこかで「ハッ」と自覚をするきっかけに出会うまで、
言い続けるしかないのではありますが・・・

生徒を見ない授業は
「誰のために授業をしているのか」
が分かっていない証拠ですから・・・
授業を視察する際に予告をしないのは
私は学校改革でも、研修でも、
事前に授業の視察をする具体的なスケジュールを
予告しない、または直前にお伝えするようにしています。

これは少し意地悪なのかも知れませんが、
可能な限り、生の、普段の状況を把握しておきたいからです。


視察用の、念入りに準備された、その時だけのパッケージを
見せられても、それが継続的に実行されているものでないのなら、
何の意味もないのです。

研究授業として、ということであれば一定の意味はあると思いますが、
残念ながら、私の仕事は普段の授業の質を高めることが第一なので、
「いつのも授業のクオリティ」がどのレベルなのか、を知るために
そのようにしています。

当然、日々継続することですので、
ものすごい準備が行なわれていることなど期待していませんが、
毎日持続できる範囲内で、どのくらいの授業が提供できるのかを知り、
その上で面談をし、現状の環境の中でどこまで高めることができるのか、を
一緒に探っていきます。


そこで大切にしていることがあります。

本当に良い先生というのは
「その瞬間だけ非常に素晴らしい授業をする先生ではなく、継続した良い授業を継続できる先生」
であるということ。


継続性の中で伝わるものも大切にし、
瞬間で終わるものだけではなく、長く残すことのできる教育も考えた先生であって欲しい
と思って関わっています。


しかし、一方で、
1回の授業を大切にできないで、継続性も何もありません。

ですから、
毎回の授業でどこまで質を高められるのか、
ということにもチャレンジし続けた上での継続、であることが前提です。

二兎を追うようで
とてもハードルが高いことなのかも知れません。

でも、常に継続性と同時に、瞬間のクオリティも求めながら
そのバランスを上手に取っていくことが、結果的に継続性のある良い授業を
生み出す秘訣なのだと思います。


先生も人間ですから
完璧を求められても困るはずです。

私だって、自分の授業が完璧だ、などと思えたことなどありません。

いつもどこかに反省があるものです。


だから背伸びなどせずに現状から何をすべきかを
建設的に話し合っていくのがベストなのだと思うのです。

だから、まずは
ありのままの実情を知る、
それが第一歩だと思っています。

だから、予告せずに授業を視察し、
とても嫌がられますが、そこで実情を把握した上で
現実的なアドバイスや話し合いができる土台を作っていくようにしています。


※補足:具体的な日時は予告しませんが、
     ある期間で視察に入ることは先生、生徒共に伝達をしてもらうようにはしています。

【0016】教員のインターン制度を
教師という仕事は
子ども達に多くの影響を与えます。

大袈裟に言うのなら、
人生にも大きな影響を与える可能性のある仕事です。

いや、大袈裟ではないかも知れません。
確実に、学校で受けた教育が、
多くの人の考え方や価値観に影響を与えています。

それは、
残念ながら、良くも悪くも・・・。


それくらいに取り返しのつかないことも
起こり得る、責任の重い現場なのに、
なぜか、短い教育実習だけで、
いきなり現場で先生と呼ばれ、
責任を負う立場になる。

これは医者の世界で言えば、
大学を卒業したばかりの若者が、
いきなり手術をします、というのと同じです。

患者の立場になって見れば、
こんなに恐ろしいことはない。

手術を受ける患者さんの命は一つだけ。
だから、失敗は許されない。
故に、インターンという期間を経て、
現場で少しずつ学び、責任を負う仕事を任されていく。

それなら、
教育の世界は失敗をしても良いのか。
いや、子どもの人生も一度きり。
教師の成長のために犠牲になって良い人生はないはずです。

教師には来年もあるけれど、
生徒にはその年齢の、その時期という同じ時間は、もう来ない。
時は流れていきますので、来年はないのです。


初任者も当然、
いきなり現場で責任を負う立場で仕事をする、というのは
大きな不安だと思います。


そういう意味で
今の制度はお互いに不幸な仕組みなのだと考えています。

初任者研修も存在しますし、
その一部を講師として担った経験もありますが、
座っているだけの研修には意味はないと感じます。

現場で、継承される経験と知恵にこそ、
活きた学びがあるはずです。

座学も必要ですが、
座学だけをして、研修が終わった、
という仕組みは効果的ではありません。



ですから、
教育の世界にも、
インターン制度を設けて、
準備期間、実習の期間を通じて、
現場で得る経験や知恵の継承だけでなく、
自身の適正を自問する意味も込めて、
下積みをするようにしなければならない、と思うのです。


また、
採用試験もペーパーや模擬授業、面接だけで
適正が測れるとは思いません。

そういうインターンの仕組みを通じて、
現場で、実際に活動している姿を見て、
採用も最終決定をするようにすれば、
より正確に適正を判断できることでしょう。


しかし、
こういう話をしたときに
いつも出てくる問題は予算です。
教員の給与は各地方自治体の財政を圧迫している、
とも言われています。

だから不可能だ、と・・・

けれど、
文科省などによると、
教員の人件費や学校の運営費など、
国と地方が教育機関に支出した総額(公財政教育支出)は
09年度で16・8兆円で、国内総生産(GDP)に占める割合は3・6%。

OECD加盟国平均は5・4%で、
日本は比較可能な31カ国で最下位。

高等教育分野だと日本は0・5%で、
OECD平均(1・1%)の半分に満たない。

という状況です。

せめてOECD平均になれば、
そういう制度の実現も不可能ではない、と思いますが・・・


今の日本にそこを期待しても、
難しいのでしょうか・・・
【0008】教師を育てる、ということ(その1)
先生という仕事は、
知識がどれだけあっても、
どれだけ成績が優秀でも、
結局のところ、人間対人間のコミュニケーションが
円滑にいかないのであれば、
決して上手くいかないもの。

そう思っています。

しかし、
そうした話をすると、
コミュニケーションスキルを身に付けよう、
とする方も多いのですが、
それは少し違う、と感じます。

上手に受け答えができる、
ということより、拙くても
変に背伸びをするのではなく、
体当たりで、子どもと向き合おうとする熱意が
見られるのかどうか、の方が重要なのだな、
とつくづく思うのです。


どれだけ知識があっても
子ども達が、この先生についていきたい、
同じ空間で学びたい、と感じるものがないのなら、
クラスは一つにはならない。


教室は人と人とで創り出す空間です。

だからこそ、
表面だけ整えて、
先生として偉そうに格好をつけても、
本当の意味で一体感のある空間を創り出すことは難しいのです。

先生が心を開かないのに、
自分を見せないのに、
子ども達にだけ、それを求めても、
上手くいくはずがない。

人間関係を構築する上で
当たり前のこと、かも知れません。




そうなると、
等身大の自分で、
子どもと向き合うことになります。


人間性そのものが、
試されている、とも言えるでしょう。
評価するのはもちろん、子ども達。

共に学びの空間を創りたいと感じる関係を構築したい、
と思い合えるようになれるかどうか。

それはテクニックではない、
と思います。



だから
研修をするとき、
真っ先に確認することは、
先生の立ち振る舞い。

それこそ、見るのは授業の最初の5分間だけで充分。

そこで先生が生徒にどのような姿を見せるのか。
不要なプライドや仮面をつけていないか。
生徒を見る視線がきちんと向き合えているか。
生徒に対して不要な迎合または威圧をしていないか。
先生は生徒に物事を伝えようとする熱意があるか。

授業の計画や技術よりも
まずそこを点検しておかなければ、
どれだけ良い計画や準備をしても、
思ったように伝わることがないのです。


どれだけ論理的に優れていても、
もっと大切なことがある。

まず、それを伝えることが
教員研修を行なう上で重要だと考えています。



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moro(諸葛正弥)

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