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諸葛正弥の教育論
教育に関する持論や新しい教育のあり方について、教師として、または保護者として、様々な切り口でお話します。(元タイトル:子どもの才能を伸ばす教育を)
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いじめにどう向き合うか
これは非常に難しい課題です。

私は塾の出身ですから、
いじめのことなど分からない、
と言われますが、残念ながら塾でもいじめは
存在しますし、学校での人間関係がそのまま引きずられて、
トラブルになることもしばしばです。

塾にはいじめは存在しない、
というのは幻想です。

ですから、
そこに向き合う必要がある、
というのは共通の課題です。


さて、
今朝のNHKの番組でいじめを扱っていました。
番組で教師へのアンケートを取ったところ、
「いじめを解決する自信はあるか?」
という問いに対し、中学校の教師は
「ある」・・・26%
「わからない」・・・61%
「ない」・・・13%
という回答だったそうだ。

ちなみに、小学校の教師は
「ある」・・・41%
「わからない」・・・46%
「ない」・・・13%
出典:いじめ:「解決に自信」中学教師26% 小学校は41%−−NPO・23校調査


では、私はどうか。
「解決できる」と自信を持って言うことはできない、
というのが正直なところです。

自分の目の前で起こることは防ぐことができても、
目の届かないところで起こるものを
予防し、ゼロにする、という自信はないからです。

子どもの心の問題であり、
そこに向き合い、指導をしていくことはできても、
一人の人間ができることは限界がある。


それなら何ができるのか。
変化を見逃さない、人間関係の歪みをキャッチする、
ということは観察をしていれば可能です。

そして、「これぐらいならいいか」という発想を捨て、
初動で注意し、拡大することを防ぐ。

ということが、
まずは必要なのでしょう。
それも、関わるすべての大人が・・・


そして何より、
問題になる「いじめ」は、
もう「いじめ」ではなく、すでに「犯罪」になっているケースが
多いという側面を決して忘れてはいけません。

「いじめ」ではなく「犯罪」が起こっていて、
それを見過ごす、というのはどう考えても
容認できるものではありません。

ですから、
それを喧嘩両成敗、やられる側にも落ち度が、
などと言っていないで、厳正に処罰する体制が必要なのでしょう。

犯罪の被害者に、あなたにも落ち度があるから、
と言って、一線を越えた人間を容認しますか?
それはない、でしょう。


だから、
意識として、「いじめ」ではなく「犯罪」が起こっている、
という視点でとらえて、弱者を守る発想が必要なのです。

「まだ子どもだから」
ではなく、
「犯罪は犯罪」
なのです。

そもそも、そういう罪を犯さないようにするための
「家庭教育」や「道徳教育」でもあるはずで、
その一線を越えたのに、「まだ子どもだから」と許すのは
「犯罪」を容認しているのと同じです。

「いじめ防止対策推進法」が施行され、
地域ぐるみでいじめに対処しよう、という流れになっていますが、
多くの大人が、他人との関わりにおける「タブー」を
きちんと教えた上で、集団生活の中に入れるという責任を
持たなければ、結局、イタチごっこで終わってしまい、
「いじめ」「犯罪」がより潜在化するだけ、になってしまう気がします。


疑うのは可哀想、
犯罪者のレッテルを貼られてしまって
その子の将来が・・・

という意見も当然、理解はできます。

ですが、
そこを容認してきて、
いじめる側が増長し、現代の「犯罪」とも言える
大きな問題に発展してきているのではないでしょうか。

何が良くて、何が悪いのか、
どこからが犯罪なのか、
取り返しがつかない一線とは何なのか。

きちんと家庭で教育して送り出す意識を持たなければいけません。
そこを放棄して、
子どもが犯罪を犯したなら、
それは子どもだけでなく、親の責任です。

可哀想ではありますが、
自分のしたことに責任を持つ、
という現実を教えるのもまた教育であり、社会です。


厳しい論調で、
共感できない、という方も多いかと思いますが、
私もかつて、小学4年の頃にいじめを受けたり、
小学校で担任の暴力を目の当たりにしたり、
中学では不登校になった時期もありました。


そこには、
性善説や理想論、そして、
話し合いや仲直り、謝罪で解決するような
生易しい課題ではない現実がありました。

さらに、
自分が大人になり、生徒を目の前にしたときも、
いじめの現実を目の当たりにしました。
潜在的ないじめにとても苦労をしました。


大人の社会にもいじめは存在します。
ですが、大人が直さなければ子どものいじめはなくならない、
というのは逆である気がします。

子どもの時の「いじめ」や「他者排除」の価値観を
容認してきたから、大人になっても「まだ」やっているのです。


学校は社会の縮図だ、と言いますが、
都合の良い部分だけを見つめ、
都合の悪い部分には目を背ける、
というのではなく、
どんなに思い入れのある生徒でも、
「犯罪」は「犯罪」と厳密に裁けるように
しなければいけません。


犯罪の一線を越えたら
相手がどうであれ、処罰される、
そういう価値観を一般化していくことが、
家庭教育の重要性を高め、
子どもの世界を救う抑止力になる、と思います。


ただ、
現代では携帯などで簡単に個人を呼び出すこともできます。

学校の外で呼び出されて・・・

というケースも少なくないでしょう。
そこには教師は手を出しようがありません。

しかし、
もう、そうなったら、
いずれにせよ犯罪です。

お金を取られようが、殴られようが、
いずれにせよ、立派な犯罪ですので、
一般社会と同じように被害届を出す、
または起訴する、のが当然です。

いや、そんなことをしたら・・・
というケースもあるかと思います。
けれど、そういう弱者を守るのが、
周囲の大人の役割です。
同じ学校の空間に行くのが怖い・・・
それなら、訴えて解決するまでは、
安全性も考慮すると、
学校に来なくても良いのではないか、とも思います。
容認すべきは「犯罪」ではなく、
「解決」していくために必要な選択に対して、でないとならないのです。


結局、
社会全体で「犯罪」を見逃さない目を持つ、
という価値観を共有していくことが重要なのだと思います。


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