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諸葛正弥の教育論
教育に関する持論や新しい教育のあり方について、教師として、または保護者として、様々な切り口でお話します。(元タイトル:子どもの才能を伸ばす教育を)
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叱れない子育てになっていませんか
「叱らない子育て」という言葉を
よく耳にするようになってしばらく経っていますが、
実際に「叱れない子育て」になっている方を見かけると
個人的には少々、心配になります。


叱らない子育て、というのは要するに、
子どもの自尊心、自己肯定感を損なわないように、
トップダウンで押さえつけるのではなく、
子どもを一人の人間として尊重した上で、
自ら自覚し、行動するように対話を通じて導いていこう、
という趣旨だと理解しています。

それならば、納得です。
否定するところはありません。


ですが、それは悪いことを悪いと伝えてはいけない、
やってはいけないことを指摘してはいけない、
という意味ではないはずなのです。

ところが、
「叱らない子育て」を都合よく解釈し、
「叱れない子育て」になっている方をよく見かけます。


アドラーの心理学から
「叱らない子育て」という発想が出ていると認識していますので、
アドラーの考え方から確認していきます。

基本的に、勇気づけという観点で関わることを軸として
相手と関わることで、お互いに良い関係を構築できる、というもので、

岩井俊憲さんの著書「勇気づけの心理学」によれば、

-勇気づけとは、自己尊重(自尊心)と自己信頼を築くのを支援するために個人の持ち味と潜在力に焦点を当てるプロセスであり、勇気と信頼を確立するのに欠かせない技術を適用することで現実化する理論である。(ディンクマイヤーによる定義)-

とされています。

それならこれは、
基本的な態度として、
お互いを尊重しあい、信頼しあう態度の上で、
より良い行動を起こしていこうとする意欲を育てていくための関わり方です。

目の前にすでに起こっているトラブルをどう解決するか、というものではありません。
どちらかと言えば、予防するために、そして次に繰り返さないために、
どのように関わるか、というものです。

だから、
目の前に起こっている事に対して、
何もしなくていい、放置していい、ということではない、
と私は考えています。

目の前に危険があるのなら、
他者への迷惑が明確に生じるのなら、
それは保護者の責任として止めた上で、
「勇気づけ」をして次に起こらないように話をすべきでしょう。

大切なのは、まずそこで、
子どもが話を聞ける関係にすること。

そこに至る前にまず、目の前に生じている現象を止め、
なぜ、それがいけないのか、止められたのか、を
真剣に、短く、強く伝えることは非常に重要です。

それが叱るということで、
何が良くて、何が悪いのか、を熱意をもって伝えること、
そして、今、起こっている「悪いこと」「危険なこと」を止めるために
事の重大さを理解させるために表現すること、でもあると思います。

その部分が冷静さを失い、
「叱る」ではなく「怒る」になって
相手の自尊心や人格を損なうような言葉がけや
親のイライラを解消するために感情的な爆発をぶつける、などが
混じるとおかしなことが起こる、ということで、
ダメなものをダメと伝えてはいけない、ということではないのです。
(私の解釈なので怒られてしまいそうですが・・・)

だから、「叱らない子育て」ではなく
「怒らない子育て」が正しいのではないか、と思います。

先述した
岩井俊憲さんの著書「勇気づけの心理学」の中で

勇気くじきをやめる

という部分があります。
これがいわゆる「叱らない」の考え方の土台になっているのかも知れませんが、
そこでは勇気くじきをやめるには、

①原点主義
②ダメ出し
③結果重視(プロセス軽視)
④競争原理
⑤人格軽視
⑥聞き下手
⑦失敗を非難

以上の7つのパターンをやめるように心掛ける
とされています。

さて、電車の中で靴をはいたままシートに乗り、
隣の人の衣服に土足の靴の汚れがつきそうなとき、
それを叱らないのは、
それは、②のダメ出しをしてはいけないから、なのでしょうか。

私はそれを叱るのは勇気をくじくダメ出しと同じではない、と思います。

いわゆるお絵かきなど、個々の発想が膨らませられるようなものに
個人の価値観でダメ出しをするというのは問題ですし、
お手伝いを失敗したなどというケースでダメ出しをしたり、
非難をするのはまさに勇気をくじくことだと思いますが、

社会のマナーやルールを破ったことに対して、
それはマナー違反、ルール違反である、という事実を伝えることは非常に大切で
これは勇気をくじく「ダメ出し」と同じにしてはならないと思います。

そして
こういうときによく考えなければいけないのは、
マニュアルでこう書いてあったから、~してはいけない、
という発想に縛られ過ぎていないか、ということです。

今、目の前に起こっている現象を放置することは
マニュアル云々を抜きにして、
社会を構成する大人の行動として、
そもそも相応しいかどうか、という観点で振り返ってみると良いのかも知れません。

そこで、
ウチではこういう関わり方だから、
周りに迷惑をかけても良いんです、となるなら、
社会性という点において子どもの教育以前の問題です。


子どもに優しく説明して、聞いてくれないから、
聞いてくれるようになるまで放置、という方もいます。

叱る、という行為は
何が良くて、何が悪いのか、を熱意をもって伝えること、
そして、今、起こっている「悪いこと」「危険なこと」を止めるために
事の重大さを理解させるために表現すること、
ですから、本当に叱らない、というのは
その重要性や伝えたい熱意を表現する、という観点が置き去りになっているため、
何度繰り返しても聞いてくれるようになることも、伝わることもないでしょう。

そして、
ただ理屈を捏ね繰りまわすだけでも良くありません。
ああ言えば、こう言うをお互いに繰り返すだけで、
余計な言い訳ばかりを聞き過ぎて、
結局、ルールやマナーが二の次になり、
個人の都合が勝ってしまう現象の陥っていきます。
ダメなものはダメ、という譲ってはいけない強さもそこには
表現しなければならないのです。


本当の優しさとは、
厳しくても、相手のことを思い、
熱意を持って関わること、だと思います。

親だからこそ、子どものことを思い、
時には心を鬼にして、真剣に伝えるべきことがあるのではないでしょうか。


そうした積み重ねの上に、
共有できる善悪の価値観ができ、
その先に、「いちいち叱らなくても済む関係」ができあがって、
本当の意味で「叱らない子育て」が実現していくのだ、と思います。


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